印刷技術者紹介

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印刷技術者紹介

田中産業の印刷技術者を代表して 取締役製造部長 斎藤明

皆さん、こんにちは。田中産業の斎藤です。
田中産業株式会社のHPにお越いただき、誠にありがとうございます。
私は、田中産業の大型印刷の黎明期から、今に至るまで、24歳からずっと、そう、もう26年になりますが、印刷に取り組んできた男です。

今回は、皆を代表して田中産業の大型印刷についての文章を書くように、とご指名を受けました。
まあ正直、こういうのは苦手なので、わかりにくい部分もあるかと思いますが、ご容赦いただければと思います。

取締役製造部長 斎藤明

田中産業にB倍サイズ(1456×1030mm)の印刷機が来たのは1989年。
私が入社3年目の年でした。今は6色とか、7色の印刷機を使っていますが、当時は2色の印刷機でした。
フルカラーの印刷は4色(墨・藍・紅・黄)に分解し印刷するのが通常なので、当時はそれを2色ずつ2回に分けて印刷していたんですね。2回に分けて印刷するってことは、後から印刷する2色分をどのくらいの濃度で印刷するか、事前に頭の中で計算しておいてから、最初の2色を印刷するってことなのですが、計算を間違うと(つまり勘が外れると)、とんでもない色調の印刷物になってしまいます。
たとえば15色、16色刷りの印刷(滅多にない仕事ですが)について考えてみてください。
たった1つの色の読みを間違った場合でも、全部やり直しになります。
安易な考えや判断で印刷してしまうと、本当に取り返しがつかないことが起きます。

そんなわけで、オヤジの小言的な言い方になってしまうかもしれませんが、技術革新の進んだ今の機械を操作する印刷技術者の諸君は、諸君で悩みはあるかと思うのだけれど、たぶん彼ら以上(だと勝手に思っとるんですが、なんと言うんだろ?)に、悩みに悩んで、仕事に取り組んできたと自負しています。

ましてB倍の印刷は、普通の印刷よりも高いクオリティを求められるので、デザイナー様の立会いで印刷することも多くて、ダメだったらその場でNGが出ます。
で、ときには、やり直しようのないどうしようもない状況に追い込まれてしまうこともあるわけです。

本当に胃の痛い、いつになっても慣れることができないギリギリの気持ちで、取り組んでいたなあ、と思い出します。
まあ、一言で言うと、印刷することが、いつも怖かったです。
正直言って、イヤでしたね(笑)。その代わり、そういったギリギリの部分にいつだって執念をもって向き合ってきたからこそ、上手くできたときは嬉しく、学べたことも多く、常に前に前に進め、それゆえに今の自分を創れた!とも思うのですけれども。

取締役製造部長 斎藤明

機械は4色機、5色機、そして自社製の7色機、最新型の6色+コーター機と進化してきましたが、大型印刷の仕事の大切な部分は、決して変わらないと思います。 ひとつの仕事に対して、それがどんな仕事であっても、難しい挑戦があったとしても、受けたからには可能性を求めて真摯に取り組み、決して逃げないという心、そこを若い人たちに受け継いでもらってゆかなければならないと思っています。

既存の大型オフセット印刷の市場は縮小傾向にありますが、当社の持つ設備や製造技術、そして知識は、常に時代の最先端を走り続けると自負しております。

また、私自身、今の大型オフセット印刷機ができる限界、またできない限界、改善すればできるようになる可能性の部分、そして挑戦すべき未来を、現場を離れた今でも誰よりも詳くわしく語れる自信があります。
そういった知識や経験をフル活用して、今はまだ見えませんが、必ずある大型オフセット印刷機がお役に立てる新しい市場を、何としても手に入れたいと思っております。

もし、大型の印刷でわからないこと、お困りのこと、また挑戦したい新しいことがありましたら、いつ何時、どんなことでもお問い合わせください。私どもは自信をもって、皆様のお悩みにお応えする所存でありますし、
また、一緒に協力して挑戦したいといつも考えております。

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